丸やの想い 創業大正15年「丸や」の歩み

丸や呉服店の初代・谷博義は、滋賀県伊香郷里木の本町大音で先祖代々、寺の住職を勤める家に次男として生まれました。
大正5年の春、博義は東京市白金猿町にあった「丸屋呉服店」に丁稚奉公として入ります。

博義は竹田の宮家の御用掛かりをしており、関東大震災の時には、宮家のご友人であった帝国婦人協会会長の下田歌子様(実践女子学園の校祖)から被災された方々に無料で衣料を届けたいという依頼を受け、被災していなかった立川や八王子を駆けめぐって、大型トラック何台分かの綿の反物を集めたそうです。

10年の修行を経て、大正15年3月1日、当時の府下茨原郡蒲田町御園261番地に「丸や呉服店」を創業開店。
丁度その頃、松竹映画の蒲田撮影所ができ、蒲田は少しぎわい始めたころでもありましたが、駅周辺はわずかに日用品雑貨類を商う小さな店が軒をならべている程度だったそうです。
また、当時の装いといえば町役場では町長さんだけが洋服で、あとの使員さんは着物にセルの袴姿というものでした。

開店当初は太物類が中心で、3日に1回は自転車で日本橋の堀留まで仕入れに通って商いを続けておりましたが、東京大空襲で店舗は消失。全てを失くしましたが、疎開先の府中からお客様を一軒一軒お訪ねする日々を過ごし、昭和25年、再び蒲田に店舗を構えることができました。

昭和50年に創業50周年を迎えた際、お客様にお配りした和紙で閉じた数頁にわたるご挨拶状があります。
そこには、初代の思いが詰まっており、
「売らんかなの派手な宣伝や、目先の商売は一切致さず、あくまでも責任のもてる良品、そして恒に誠値をもって誠意ご用命を承ることこそ商道の最善と信じ、これを従前にもまして一貫した丸やのお客様へのご奉仕の不動の方針とし、末長くご愛顧とご信頼をいただける立派な老舗にしていきたい所存でございます。」とございます。

二代目・谷博夫、三代目・谷加奈子もこの初代の「思い」を引き継ぎ、皆さまに支えていただきながら、商いを続けさせていただいております。
着物を通して楽しく、美しく、お客様の幸せに輝き続ける人生のお手伝いができればと、心から存じております。