羽織から道行コートへ、そして名古屋帯にリメイク
羽織から道行コートに仕立て替え
昭和30年代から50年代前半にかけて、ほとんどの女性が羽織っていた羽織。
その時代は、丈が短いものが主流で、羽織の上に道行コートを着ていました。
羽織が洋服でいえば、カーディガンであったことがよくわかります。
しかし、ある時代から、カーディガンである羽織は忘れ去られ、道行コートに変わってしまい、羽織を着る文化が減ってしまいました。
道行コートの時代になると、羽織を道行コートにリメイクする方も少しずつ増えてきて、私も母の羽織を道行コートに直して着ていました。
他のページでもご紹介しているかと思いますが、羽織の襟は、横幅を縦に切ることなく、着物と同じ幅で作られていて、今ほどコートの丈が長くなかったので、道行コートに直すことができました。
(今でも、身長により、羽織の返し(表の布が裏に折って返っている部分)が長ければ、道行コートに直すことは可能です。)
道行コートから名古屋帯に仕立て替え
こうして、羽織から道行コートに仕立て替えて活躍していたのですが、ある時代から、道行コートがどんどん長くなり、時代に合わなくなってしまい、しばらく、解いたままタンスに眠らせていました。
そんな時、友禅作家の中條弘之氏と話す機会があり、絞りのコートを蘇らせるべく、名古屋帯に仕立て替えることにしたのです。
絞りのコートは、もともと、帽子絞りの部分のみに色が入っており、鹿の子絞りの部分は白地のままでした。
上の画像をご覧いただけるとわかると思いますが、鹿の子絞りの部分に色も柄もない状態は、かなり寂しい状態で、帯としては魅力に欠けるものでした。
そこで、中條氏の提案により、鹿の子絞りの部分に梅の文様を描いてもらい、竹の部分には、緑色を入れてもらいました。
おかげさまで、松竹梅の名古屋帯に生まれ変わり、ずっと愛用しています。
着物や帯、羽織や道行コートは、工夫次第で、新しい形となり生まれかわることができます。
どんなふうに生まれ変わるかは、作家や職人と相談しながらのご提案になりますが、眠ってしまった着物や帯がありましたら、いつでもご相談ください。